ユーザーと制作側の認識があわない理由

ユーザーは「これはOK」「あれはNG」のような価値基準を持っています。

しかし、実際は「これ」と「あれ」の2通りで片付けられるほど話は単純ではありません。

「これ」にあてはまるケースを具体的に考えていくと100パターンあるかもしれませんし、

「あれ」にあてはまるケースを具体的に考えていくと100パターンあるかもしれません。

それら200パターンのうち50パターンは「これ」と「あれ」の両方にあてはまる共通のケースかもしれません。

でもユーザーは「これ」と「あれ」を言ったのだから制作側に伝わっているだろうと思うわけです。

ところが制作側は実作業にまで落とし込む責任を負っているので、

実作業まで落とし込む段階で「これ」や「あれ」の具体的なケースを洗い出します。

すると当然ながら、上記のような「これやあれで片付けられない」たくさんのケースが出てくるわけです。

でもユーザーは「これ」と「あれ」で話を簡単にしたいので、

200パターンだと言われてもわかりません。

「これ」と「あれ」の2パターンのどちらかにあてはめて話をしてほしいのです。

しかしそれでは、たくさん出てきた例外パターンについて、

どう扱うのかという具体的な話をいつまでたっても詰めることができません。

制作側はそこの話をしたいのです。

「これ」と「あれ」に単純にあてはまる150パターンについての話はもういいから、

あてはまらない50パターンの扱いをどうするかを決めたいのです。

でもユーザーは自分の頭の中には「これ」と「あれ」の2つしかないので、

どちらかにあてはめて理解をしようとします。

だからいつまでたっても平行線。

すごく大雑把なレベルでは同じ目線で話ができるのですが、

実際にモノを制作するときに決めておかなくてはならない例外的なパターンの話になると

目線が合わなくなって話が合わなくなります。

ユーザーと制作側の認識があわない理由はそこにあると思います。